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1995年、ゴスペルシンガーにヴォイストレーニングを受け、数々のライブバンドで活躍していたTAKE、 バックバンドやスタジオワークのかたわら、自らゴスペルグループを主催していたKO-ICHIRO、ドラマーとしての活動の他、CM音楽やラジオジングル、楽曲提供をしていたKO-HEYの3人により、大阪にて結成。その直後制作したデモテープをきっかけに、現マネージャーと出会い、 '96年ソニーレコード(現SME Records)と契約。 97年2月、シングル『No Make de On The Bed』にてデビュー。 コンテンポラリーなR&BをベースにSOUL、FUNK、GOSPELなどに影響をうけた彼等のヴォーカリゼーションとサウンドは、日本語の歌詞でありながら、いわゆる「R&B風ポップス」とは明らかに一線を画している。
もちろんその信条は『SKOOP』となった現在も受け継がれており、彼等のライブパフォーマンスは非常に高い評価を得ている。彼等の音楽を聴いたある人物が、それを「パフューム・ミュージック=香水のように人肌のぬくもりを得て香り立ち、香りと共に思い出までもが蘇るようなSEXYな音楽」と表現した。 2000年4月、アーティスト名をSKOOPからSkoop On Somebodyに改名。 |
![]() 【TAKE】 |
1989年 大阪でライヴ活動を開始。 ゴスペルシンガーである"SAM JONES"に師事したのち渡米し、滞在する間にニューヨーク・ハーレムにてヴォイストレーニングを受ける傍ら、クラブなどで現地ミュージシャンとのセッションを重ねる。 帰国後、この経験を生かし多彩な音楽活動を展開。中でもライヴバンド「MARVY&COOL CONDITION」や、4人のダンサー、ラッパー、数人のヴォーカリストを加え、よりshow的要素を強化させたユニット「MOOD 4 LUV」は来日アーティスト"CAMEO" のフロントアクトを務め、クラブ・ライヴハウス・イベント出演などで高い支持を得る。 1995年8月 これらの活動を通じて兼ねてからの付き合いの有ったKO-HEY、そしてKO-ICHIROと出会い、共に次なるステップを目指し、"SKOOP"を結成する。 |
![]() 【KO-ICHIRO】 |
6歳の頃から姉と共にピアノを弾き始める。 高校2年の頃、衝撃を受けた"STEVIE WONDER" の音楽に出会い目指すべくバンド活動を開始。 大学へ進学し、軽音楽部に入部した頃よりさまざまな音楽に触れると共にバックバンドや、クラブなどでの活動を始める。また、作曲も手掛け始め自己バンドでライヴツアーを行う傍ら、スタジオワークとして、シンセサイザーオペレーターやレコーディングエンジニアとしても活動する。 1990年6月 ロサンジェルスとニューヨークに渡米し滞在する間に、現地のゴスペル教会に参加。帰国後、ゴスペル(黒人教会音楽)の普及をライフワークとする事を決め、ゴスペルユニット"「Choir Of God In Christ」(以下「C.O.G.I.C」)を結成、1994年に解散したのち、以前より親交のあったTAKE率いるライヴバンド 「MARVY&COOL CONDITION」に参加。クラブなどでのライヴ活動を重ね、より一層音楽への熱が高まり、TAKE・KO-HEY達と意気投合し"SKOOP"を結成する。 |
![]() 【KO-HEY】 |
高校在学中の頃からドラマーとしてバンド活動を開始。 大学入学と同時に作曲家としても活動を始め、CM・FM番組のジングルなどに曲を提供。 1992年にはラジオ CM「アイスアリーナ宝塚」で ACC賞を受賞する。この頃、音楽活動を通じてTAKE と出会い意気投合、「24 hours BAND」や「ROUGE ON HIP&THE FAMILY」などを結成、精力的にライヴ活動を行う。 その後加入した、ゴスペルグループ「C.O.G.I.C」にてKO-ICHIROと運命的に出会い、後にKO-ICHIROがTAKE率いるライヴバンド「MARVY&COOL CONDITION」への参加をきっかけに、TAKE・KO-ICHIROと共に新たに"SKOOP "を結成する。 |